脳:先を読む頭脳
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私は、羽生善治という人そのものに興味を持っている。なぜかというと、まったく棋士というような勝負師には見えない、大学の助教授とか、企業の研究者のような雰囲気と、将棋に対するアプローチが、勝負ではなく純粋なる研究に見えるからである。
彼は、大学の研究者との交流もあるし、研究者のイベントにも参加している。これは、第一人者としての招待もあるのだろうが、それ以上に彼自身が情報を発信しているからである。普通勝負事に関与している人間であれば、自分が持っている情報を隠すのが普通である。それをオープンにしている。常識では考えられない。第一人者だからなせる業ということではなく、彼にとっては将棋は研究対象で、自分もその研究に参加しているという考えがあるからだ。
将棋のルーツといわれる「チャトランガ」から「韓国将棋」、「中国象棋」まで、取った駒は使えない。「将棋」だけが、取った駒をもう一度盤上に打てる。だから、他のゲームと違い、将棋は終盤に向かって発散するという。彼は、P191でこう書いている。
将来的にも、将棋の全容が解明されることは絶対に有りえないでしょう。そのことはすでに証明されていますから、仮にコンピュータが人間のレベルに追いついたとしても、将棋の将棋の可能性が狭まるわけではないのです。
この認識があればこそ、大学の研究者とコラボできるのでしょう。
とにかく、私が羽生善治が好きなのは、将棋という世界に知的労働者として参加して、ベールに包まれている部分を少しずつはがしてくれるからなのだ。
他にも、棋風やオフの過ごし方など面白い話があるのだが、特に興味深かったのは、パソコンで将棋データベースを操作しても、手順が頭に残らないというところだ。
私は、パソコンの画面でマウスをクリックして動かすのと、実際の盤上で駒を動かすのとでは、蓄積される記憶の質が違うように感じています。(途中略)両者を比較した場合、やはり手で駒を握るという感覚がとても大事なのだと思います。将棋を勉強する際には、駒を並べて動かしていくのが、間違いなく効果的です。
小さいときから、パソコンで将棋を覚えたら、違ってくるのかも知れません。その人が勉強した時に大脳皮質への蓄積の仕方が決まり、その方法がもっとも効率の良い記憶につながるのではないだろうか。そういう点でいえば、私は何か考え事をする時、紙とシャープペンシルで図を書くことが多い。これが一番しっくりくる。さて、パソコン時代に育った子供たちは、考え事をするとき、パソコンのキーボードを打つだけで足りるのだろうか?
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