Topics>青色発光ダイオードと中村修二
先日、日亜化学が中村修二さんに200億円支払うという判決が出たということで、かなり新聞で取り上げられていました。1999年にUCLAサンタバーバラ校の教授になったことで、中村修二さんには、かなり興味を持っていました。それで、その著書「負けてたまるか」をインターネットで予約したのですが、実際に図書館に行ってみたら、それ以外に3冊関連本を見つけました。
赤の発見 青の発見 西澤 潤一 , 中村 修二 発売日 2001/05 |
青の奇跡―日亜化学はいかにして世界一になったか 小山 稔 発売日 2003/05 |
「青色」に挑んだ男たち―中村修二と異端の研究者列伝 中嶋 彰 発売日 2003/10 |
3冊読むとかなり事情が立体的に浮かび上がってきます。最初の本は、当事者が語る話で非常に面白いですが、青色発光ダイオードをめぐる全体像が掴めません。2番目の本で、日亜化学の内部事情を中村さんのそばにいた小山さんが語ることで、かなり客観的に知ることができます。3番目の本では、まさに青色発光ダイオードをめぐる研究者の実情がわかるもので、この3冊を通じて私の中に青色発光ダイオードをめぐる事情がわかってきました。
一番印象的なことは、中村修二さんというのは一見乱暴な異端児に見えますが、実際そうなのですが、天才的なカンと実行力のある極めて優れた人であるということです。まさに研究職人です。自らの手で装置を改造し、欲しい物を作り上げる。こういうことができる人は、本当に少数派です。
二番目に感じたことは、いろいろな過激な発言でかなり損をしている。いつも感じることは、中村さんのような人は特別な人であって、まねしてできることではありません。そういう人は、他の人にとって参考になるところは少ないと思います。もちろん、次世代の中村さんのような人を育てることは重要ですが、そういう人は育てなくても出現してくるものです。
先駆的な研究を行った赤崎さんのことが無視されているという意見が3冊目で語られています。確かにこの研究を回りの騒音を無視して継続してきたことは評価できますが、中村さんの業績と比較して比重は小さいと私は思うのです。中村さんが青色開発に参入してくるタイミングは、まさに成果があげられるというカンが働いたからで、そうでなければ参入してこなかったと思います。そのタイミングを自ら見つけ出し、ブレイクスルーといえる成果を出したのですから、業績は中村さんのものでしょう。本当に頭の良い人は、成果を出せる自信がなければ参入しません。良く失敗した人で、後から参入した人が成果をあげた時に、私が先駆者、私が最初に始めたから今日の成果がある、私は始めるのが早すぎた、という人がいますが、もってのほかではと思います。
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