百冊003:スーパーコンピュータを創った男
スーパーコンピュータを創った男―世界最速のマシンに賭けたシーモア・クレイの生涯 チャールズ・マーレイ , 小林 達発売日 1998/04 売り上げランキング 199,832 |
私のお薦め度 ★★★★★ ★★★★★(10)
ひさしぶりに没頭して読みました。クレイのことは、スーパーコンピュータを作った人であることは知っていたので、その生涯には興味を持っていました。
コンピューターの設計では、アーキテクチャーの設計とハードウェアの設計に分けることができると思いますが、クレイは両方に通じていたので、成功できたのでしょう。
クレイはコンピュータ技術者として一生を過ごしたわけで、70才まで現役というのは並大抵のことではできません。ただし、その送り出したコンピュータを振り返ると、1974年に発表したCLAY-1が最盛期(49才)でその後の20年間は、成功していないように見えます。つまり、CLAY-2は1985年に発表されますが、27台しか出荷されていませんし、CLAY-3に至っては1993年に発表されましたが、結局1台も売れませんでした。
この原因は、互換性と半導体技術の進歩の二つにあるのではないかと私は考えます。CLAYは最適化を図るために互換性を捨てていますが、成功したのはCLAY-1と互換性を持つX-MPでした。また、80年代はマイクロコンピュータが急速に集積度を上げた時期で、90年代はクロックが一気に向上しました。2003年現在では3GHzになろうとしています。その波に乗れなかったのも原因です。
そもそも、互換性を捨てることと、ハードウェア、ソフトウェアを総合したアーキテクチャの最適化を行えたことが、クレイの強みだったのですが、その成功体験を引きずりすぎたと思います。スーパーコンピュータとジャンルは違いますが、その逆を行って成功したのがインテルです。
60年代はハードウェアにかなり制約があったので、クレイは強みを十分活かす事ができました。しかし、半導体技術の進歩がハードウェアの設計から制約を取り去ってしまったので、クレイの強みは薄れてしまったのでしょう。
しかし、この技術志向の生涯は、技術者にとってとても素敵なものだったと思います。官僚的な要素を配した組織、常に新しい技術へ挑戦する気概、ある意味で技術者の楽園を作り出したのだと思います。現在では、マーケットを意識しない製品というのは考えられませんが、70年代までのスーパーコンピュータというのはその例外だったのです。
追突事故で不慮の死をとげたことは本当に悔やまれますが、さらに新しい技術、マシンに挑んでも苦しむだけで成果があがったかは疑問です。どこかで引退する必要があったのだと思います。
本の内容には満足していますが、あくまでもエピソードが綴られているだけなので、この本からいかにスーパーコンピュータの開発がたいへんなことかは伝わってきませんでした。もう少しその当時の他の会社の競合製品の話や、なぜクレイが選ばれるのかについて説明があるとさらに良かったと思います。
とにかくお薦めの本です。そして偉大な先駆者シーモア・クレイの生き方に共感を覚えます。
コメントを残す