脳:「県庁の星」とcontingency
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「県庁の星」を見ながら、遇有性-contingencyのことを考えてみた。
「県庁の星」は、織田裕二扮する県庁の職員が民間交流でスーパーに派遣されるという、一見つまらなそうな話である。しかし、スーパーで体験することは予測外の展開で、普通の人間であればめげてしまうところを、前へ前へと猛進するのである。これを見ている最中に、遇有性だと思ったのだ。
遇有性-contingencyを辞書で引いてみると、
con・tin・gen・cy
━━ n. 偶発事件 (contingency plans 非常用対策案); 偶然(性).
⇒contingent
遇有性という訳は、意味がピンとこないが、緊急事態とか不測の事態といった方がわかりやすい。遇有性という訳には、いろいろな意味を込めたかったのかもしれないが、私は混乱するだけのような気がする。さて、不測の事態に対応できるのは、人間だけに与えられた能力ではないだろうか。そして人間の精神的な強さとは、この不測事態への対応力にあるのではないだろうか。
その点、この「県庁の星」の主人公は、常人を超えた対応力がある。映画の中で、スーパーで売る弁当を企画することになるが、まったく経験ないにもかかわらず、容器を決め、食材を決め、調理方法を決め、作ってしまうのである。案の定まったく売れないのだが、それで怯む事はない。どんどん新しい企画を繰り出していくのである。馬鹿なやつと思いながら、何の成功の根拠もないのに、前へ前へ貪欲に進もうとする主人公に、contingencyとのstruggleを感じたのである。
しかし、よくよく考えれば、これは映画の中のありえない話ではなく、私たちの日常に、常に立ち現れてくるものと変わりないのである。自分のまったく知らない領域でも、結果を気にせず貪欲に飛び込み、溺れないで対岸までたどり着けるような人間ほど強いものはない。人間年を重ねるごとに、いろいろなものを身に着けてしまうが、いつでもそれを捨てて新たにやり直せる勇気を持っている人間は、どのくらいいるものなのだろうか。
【県庁の星】
社会人暦5年。 世の中こんなに甘くないです。 エリートが市民のために考えるなんて はっきり言ってありえないと思います。 別に俺はエリートでもなんでも…