脳>セレンディピティと有限要素法
「セレンディピティ」の解釈を間違っていたようだ。当初「セレンディピティ」とは、「偶然なる幸福を呼び寄せる力」だと思っていた。しかし、そういう神秘的な力ではなく、誰でも努力すればできる、「偶然なる出会いを幸福に変える能力」だった。
昨日は、本当に偶然が連続して起こった日だった。しかし、それを幸福に変えるのは自分自身の考え次第だ。
昨日起こったこととは、まず携帯電話に大学時代の友人から電話がかかったところから始まる。年賀状を書いていて、突然研究室OBによる駅伝チームの結成を思いついて電話してきたという。大学は工学部だが、毎年11月に研究室対抗の駅伝大会がある。それに研究室OBで参加するというのである。 私はそこで年賀状をもう書いてしまったのか聞いた。これから宛名を入れるところだというので、つい一週間前に身内で不幸があり、喪中であることを告げた。電話がかかってきた時、おととい出した喪中はがきを見て電話したのかと思うぐらいだった。しかし、まだ喪中のはがきは届いていないとのことだった。
そして偶然は2度起こる。年賀状出そうとして電話してきて、「まあハガキ一枚だが無駄にしなくて良かったね、これもセレンディピティだな」と言ったときだった。友人が、「そういえば昔お前有限要素法のプログラム書いてただろう。その中でセレンディピティ族というのがでてきたよな。」。 まったく覚えていない! セレンディピティ族? 調べてみると、確かに「高性能有限要素法 日本計算工学会編 山田 貴博著」という本の中に「セレンディピティ族四辺形高次要素 」というのが出てくる。どういうものか、さっぱり思い出せない。。。
そして偶然は3度起こる。そもそも何で研究室OBの駅伝チームを作ろうと思い立ったのか聞いてみた。友人は、最近東北新幹線にぎりぎり間に合って飛び乗った。いつも出張で東京に来ても日帰りだ。指定席にすわると、隣で寝ているおじさんが1人。良く見れば、研究室の先輩。いくら出張が多いといっても、指定席で同席するなど確率から考えてもかなりの偶然である。そこで、二人で話をしているうちに、駅伝大会への参加を思いつくのである。
セレンディピティとは、この偶然から始まるのだが、重要なことはそれを幸福に変える発想である。友人は、その偶然を研究室OBの駅伝チーム結成に発展させた。そして、私に電話をしてきた。そうやって、セレンディピティの輪が広がっていくのである。重要なのは偶然に出会うことではない。偶然は偶然だけれども、時々起こる。それを如何にして幸福に変えるか、その発想にかかっているのである。
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コメント2件
本当に久しぶりですね。セレンディピティというのは、ノーベル賞の田中さんにも関係ありますから、いくらか身近に感じます。偶然を如何に努力して幸運に結びつけるか、やはり努力以外ないのでしょう。しかし、重要なのは偶然を如何に多く作り出すかです。それも努力です。とにかく、いろいろな人と話、自分と合う人間を探したり、まったく違った考えを持った人間と議論したり、そういう機会を如何に増やすかです。そのためには、自分が人と異なる経験や知識や考え方を持っているかも重要です。
久しぶりにコメントさせていただきます。その”友人”は、私の”先輩”ですが、私への年賀にもそのようなコメントがありましたが、事情が飲み込めずにいました。このブログを読んでよく分かりました。(ついでながら、一昨年に隣の棟に引っ越したため少し住所が変わりました)