身体>走ることについて語るときに僕の語ること(村上春樹)
村上春樹の小説はほとんど読んでいるが、小説以外に関してはそれほど熱心な読者ではない。小説はとても用意周到で抜け目がない。しかもそこに書かれていないものが、後でじわじわと気になりだすような、とても意地悪な作家だ。それに比べて小説以外では、ほんわかとしたキャラクタをかもし出しているが、どうも信用できない。しかし、この本「走ることについて語るときに僕の語ること」は、無防備に読み始めて、僕の心の中に深い共感を呼び起こした。
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これほど率直に自分を語った村上春樹を知らない。
この本で一番私の心を捉えたのは、走ることと彼の仕事ぶりが密接に結びついていることである。こつこつと毎日走ることと、作家として20年以上書き続けてきたことには、共通するものがある。そして、走り続けるうちに、自分の体が変わっていくことを知り、作家としてもその方向性を少しずつ変えている。何かを10年も20年も続けるには、そのことが好きでなければできない。走ることも小説を書くことも、彼は好きだから行っているだけで、健康を維持するためとか、お金を稼ぐためとかだけでは続けられるものではない。しかし、自分が好きなものを見つけて、ずっと続けられるという幸せを掴めるという人は、稀だろう。普通は自分が何が好きかわからず、少し続けてはこれは自分が好きなものかわからず、あるいは飽きてしまって、別のことに手を出す。本来は長く続けることによって、どんなことでもその奥深さに気がつけば、それは継続できるものなのかもしれない。
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