百冊024:スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで
今まで、「Apple」や「スティーブ・ジョブズ」に関連して、多くの本を読んできた。
しかし、生身の「スティーブ・ジョブズ」を感じたのは、この本だけだ。
共著になっているが、個人的なつながりのあったブレント・シュレンダーの視点で書かれている。
本書は、原題「Becoming Steve Jobs: The Evolution of a Reckless Upstart into a Visionary Leader」、2015年3月24日に出版。
日本語版「スティーブ・ジョブズ 無謀な男が真のリーダーになるまで」は、2016年9月7日に出版。
公式伝記「Steve Jobs: The Exclusive Biography」Walter Isaacson は、2011年10月24日に出版。亡くなった10月5日から3週間も経っていなかった。
公式伝記の出版から3年半後、本書が出版された。それは公式伝記を読んで、ブレント・シュレンダーは違和感を覚えたからだった。
「公式伝記に描かれたジョブズは、私が知っているジョブズではない。」
ジョブズとApple
ジョブズのビジネス履歴を語るために、以下の3期に分けるとわかりやすい。
第1期 Apple創業 1976年4月1日ー1985年9月
第2期 空白の11年 1985年10月ー1996年12月20日
第3期 Apple復帰 1997年ー2011年10月5日
変人、悪い評判、そして「空白の11年」
公式伝記を読んで印象に残るのは、スティーブ・ジョブズの変人ぶり、そして対人関係の悪さ。1976年4月1日にAppleを創業し1985年9月に辞職するまでの間、様々なトラブルを起こしている。
著者のブレント・シュレンダーは、Appleを辞職しNeXTを創業した頃に、初めてジョブズに取材を行っている。
彼は、「空白の11年」がジョブズを変え、その後の成功を導いたと考えている。何が変わったのか、何故変わったのか、それを伝えるために、本書を書いたようだ。
私も1990年代に入った頃、ジョブズは終わったという印象があり、1995年にWindows95が発売されてから、Appleの存在も忘れかけていた。
しかし、1997年1月のMacWorld Expoにジョブズは登壇し、1997年7月に暫定CEOとなる。翌年の1998年8月15日にiMacを発表してからは、Appleの業績は順調に回復していった。
「空白の11年」に何があったのだろうか?
「空白の11年」で変わったこと
ブレント・シュレンダーは、ジョブズが変わった点として以下を挙げている。
- マーケティングについて、NeXTとPixarを通して学んだ。
- 結婚して家族を持った。(1991年3月18日結婚。)
ただし、性格が変わったわけではないので、人と衝突することも少なからずあった。
- Pixar社の共同設立者アルヴィ・レイ・スミスはジョブズと仲が悪く、1991年に退職。
- NeXT社の創立メンバーは、1991年までに全員退職。
多くの人達がジョブズから離れていった。
しかし、新しい才能との出会いがあり、コンピュータ業界の経営知識の修得もあった。
そして、ジョブズは経営者として成熟し、Appleに復帰する。
「空白の11年」で学んだこと
スティーブ・ジョブズは、NeXTやPixarを経営する中で、多くのことを学んでいる。
ハードウェアの製造から撤退
「空白の11年」の最初の5年は、忍耐の連続だったろう。
NeXTもPixarもハードウェアを売ることが当初前提だった。
ハードウェアとソフトウェアの両方を設計製造し、両者のベストチューニングによって、最高の性能を引き出せるとジョブズは考えていた。
しかし、Pixarは1990年ビコム・システムへ、NeXTは1993年にキャノンへ、ハードウェア部門を手放している。
1990年代のワークステーション市場は、SPARCを搭載したSUNの独占状態になっていった。ハードウェアの製造をやめ、ソフトウェアの開発に絞ったことは、戦略としては悪くなかった。
ソフトウェアへの集中
Pixarは、1990年アニメーションの制作会社となった。
NeXTは、1993年にNeXTSTEPを開発するソフトウェア会社となった。
Pixarは、自社で制作する映画に必要なソフトウェアが主で、一部汎用性のあるRenderManなどが市販されている。
NeXTSTEPは、Machをベースにオブジェクト指向開発環境を備えたOSで、68000系だけでなく、IntelやSPARCにもポーティング(移植)されている。
ここで、ポーティング技術を身に着けたことが、その後のPowerPCやARMなどへのポーティングを容易にした可能性は高い。
「空白の11年」の中で、ソフトウェアに関連する知識を身に着けたことが、その後の飛躍に結びついている、と私は思っている。
それまでは、ジョブズはハードウェア寄りのコンピュータ少年・青年だったと考えている。「空白の11年」の中で、PixarやNeXTのエンジニアと交流する中で、ソフトウェアの技術、そしてコンピュータ業界のマーケティングを身に着けていった。
復活
Appleに戻ってからのジョブズは、慎重になったと思う。
がむしゃらに初代Macintoshを開発していた頃とは、まったく違って見える。
Apple業績回復の中で、生産システムの最適化も一つの要因として挙げられている。
それを実行したティム・クックは相当な切れ者。
そのティム・クックをどうやってAppleに引っ張ってきたのか?
1998年、まだ業績が回復途上であったAppleは、コンパックより魅力的だったとは思えない。
ジョブズは、入社前にティム・クックを面接している。
ティム・クックは、面接後に心変わりしてAppleに入社することになったという。
ジョブズは、ティム・クックに一体何を話したのだろうか?
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