audio-visual>「恋におちたら」と「会社はだれのものか」
六本木ヒルズのIT企業で主人公が働いているということを聞いて、興味をもち「恋におちたら」というドラマを見た。2005年4~6月にかけてフジテレビで放送されたもので、そろそろDVDもでる。あのライブドアのニッポン放送買収と時期が重なって、タイムリーな企画だったことがわかる。しかし、私はまったく知らなかった。というのは放映されている木曜日10時というのは、裏番組「チャングムの誓い」にどっぷりはまっていたからだ。それはともかく、同時に「会社はだれのものか」を読み、会社や社長について思いをめぐらせた。
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まず最初から話がそれてしまうが、このドラマのタイトル「恋におちたら」というのは、内容とそれほどマッチしていないように感じる。しかし、Crystal Kayの同名の曲が頭にとりついて離れない。
そもそもCrystal Kayはまあまあ好きなほうだが、ちょっとインパクトが弱いという感じがしていた。声が細いので印象が薄い。しかし、この「恋におちたら」のミディアムテンポは彼女の声にあっている。これは、彼女の声に合わせて、完璧に作曲されたような、そんな感じがした。多くのシングルというのは、ある歌手が歌う曲として作曲家にオーダーされるのだから、当然といえば当然だ。これを完璧にこなした作曲家に拍手したい。
さて、このドラマで興味を持ったのは、実は場所だ。六本木ヒルズの森タワーにある「フロンティア」は、ほとんどライブドアを思わせる設定。また、「ロイドブラザーズ」が泉ガーデンタワーにあるのも、いかにもという感じである。泉ガーデンには、最近金融系の会社のたまり場の感を呈しているところだ。技術的な側面、法律上の側面などからみれば、いろいろどうかなという思うところがあるが、ドラマですからどうでもいい。案外まともだと思ったのは、堤真一演じる高柳社長だ。部下に権限委譲をしているし、「株主と従業員の利益になるかどうか考えろ」というのも、偏りがなくてよい。この「ロイドブラザース」というのは、イメージとして「リーマンブラザース」なのかもしれないが、米国流の株主偏重主義を代表しているのだろう。
あのニッポン放送買収騒動を考えると、「リーマンブラザース」と「堀江社長」が「ロイドブラザース」と「鈴木島男」なのかもしれない。
「会社はだれのものか」で岩井氏が述べているが、19世紀のアメリカやイギリスでは、法人の代表というのは人格者がなり、無報酬で引き受けるのが通例だったと。私はこれが正しいのではという直感がある。会社の中の様々な利害を調整し、自分個人の利益は考えない、そういう人格者がなるべきものだと思う。そこで判断する基準はもちろん会社の利潤追求であることは間違いないが、現代では環境の問題など社会的な責任もその基準として加えなければならない。もちろん、これは安定期に入った優良企業の場合であって、起業まもない企業の社長は違ってしかるべきだと思う。だから、起業した人間が、会社が大きくなってからも継続して社長をすべきではないのだろう。起業家は、立ち上げて人格者にバトンを渡す、そういうことが必要になる。
他にも、ポスト資本主義社会では、会社というものがどうなっていくかという点について興味深い予測がなされているが、これは私にとっても基本的なテーマなので、まった別途とりあげたいと思う。これからの会社は、資本を必要としないのではないか、現在の大企業は各業種ごとに寡占化して3社程度になったら、CSRのの基準を大幅に上げるなど、いろいろ会社の置かれている状況によって違った制度を導入するというのはどうかなど、いろいろ考えてみたい。
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